西ドイツ・シュツットガルト側のツァイス・イコン社の手による
初めて製品化された35ミリ一眼レフカメラ。写真のカメラは正確にはV型だ。
内部は精密機器そのもので、小型ながらもずっしりとした重量感がある。
第2次大戦による国家分断という悲劇は、ドイツ国家のみならず、世界に誇る光学機器の名門であるカールツァイス財団も、主にアメリカとソビエト連邦によって、東西に引き裂かれてしまった。
ツァイス財団の一部であるツァイス・イコン社も東西2つに分かれたのだが、「本家・元祖」はCONTESSAのページに書いたとおり東側であり、「ツァイス・イコン社初の35ミリ一眼レフカメラ」は、東側の「Contax S」である。
ペンタプリズムやファインダースクリーンは取り外しができず、レンズの絞りも手動でシャッターを切った際にもミラーが上がったままでファインダーが真っ黒のままなのだが、シャッターは横走りの布幕フォーカルプレンで外観も現在の一眼レフカメラに近く、現在市井にある35ミリ一眼レフカメラの元祖といっていい。
現代の電子制御では、電源(電池)があれば機械的な連動がなくとも設計どおり「器用に・正確に」動作させられるのだが、時代は1950年代。些細な動作1つであっても無数のギアが連動して、機械としての動作を担っているのだ。
今では「フォーカルプレン」シャッターのほうが、コスト的にも有利であるのだが、当時はライカやCONTAXの「超高級機」だけの機構で、「コストダウン」の為に複雑な機構の「レンズシャッター」を採用したという。
現行で新品として販売されている一眼レフカメラで、レンズシャッターを採用しているカメラは、「マミヤRZ67・RB67」、「ハッセルブラッド」と「ローライフレックス」位しかなく、それらは全て35ミリではなく中判カメラである。
昔は35ミリ判の一眼レフでも、他にレチナフレックスやビトマチック、国産カメラでもトプコンやコーワのレンズシャッター一眼レフは存在したのだが、
@全てのシャッター速度においても、シャッターが全開の瞬間があり、最高速度でもストロボ撮影が可能。
A機械的な連動機構の構造が恐ろしく複雑であり、今では製造コストが合わない。
Bシャッター部のサイズに制約があり、レンズ設計・性能の足枷となること。
C複雑な構造ゆえに故障が多く、機構の耐久性にも難あり。
といった具合に、ストロボ同調以外にレンズシャッターを採用するメリットがないため、自ずと商品のラインナップから姿を消していった。
そのうえ、現行のカメラとメーカー純正ストロボとの組合せで、今までフォーカルプレンシャッター最大の弱点とされたストロボ同調速度の遅さが、「スーパーFP発光」等の新技術で解決されてしまい、レンズシャッターの優位性が失われつつあるのだが、スーパーFP発光は、効率の悪さゆえに光量が少ないのだが、レンズシャッターでは、1発の発光で効率がいいのと、ストロボ機材を選ばないのがメリットといえる。
今の時代に、本機と同じ機構で同等品を製造するのは不可能であろう。
性 能 表
メーカー | ツァイス・イコン(Zeiss Ikon) |
形 式 | 35ミリレンズシャッター式一眼レフカメラ |
レンズ交換 | ○(専用アタッチメントによる前玉交換) |
ファインダー | ぺンタプリズム固定式一眼レフファインダー |
シャッター | レンズシャッター(シンクロコンパー Synchro COMPUR) |
シャッター速度 | B,1〜1/500s X=1/500 |
発売年 | 1956年 |